サッカラはギザの三大ピラミッドの南約20 kmに位置し、古代エジプトの古王国時代から2000年以上もの間、商業、貿易、宗教の中心として栄えたメンフィスの住人のネクロポリス(お墓)として使われてきた場所です。4600年以上前に建造された、世界最古の石造建造物と言われるジョセル王の階段ピラミッドに目を奪われがちですが、さまざまな時代のお墓があります。
ここ数年、新しい発見がいくつかあり、また発掘されたモニュメントの調査・修復がなされ、見学できる場所が増えました。2kmにも及ぶ広大な遺跡は1日歩いても見つくすことができないほどです。その中で特に私がおススメするスポットを以下にご紹介します。
階段ピラミッドとその南側にある古王国時代のお墓群
ジョセル王の階段ピラミッド 地図番号1
駐車場から道なりに進むとジョセル王のピラミッドの周壁が見えてきます。ピラミッドを囲むように作られていた周壁ですが、今はその一部が残っているのみ。入り口を入ると柱廊へ出ます。カルナック神殿の柱廊を思わせるような作りです。柱廊を出ると開けた中庭に出て、階段ピラミッドが大きく見えます。コブラの装飾がなされた壁の横に階段があり、上がると少し小高いところに出て、北にはギザのピラミッドを、南にはダハシュールのピラミッドを見渡せます。
階段ピラミッドは、一般的なマスタバ(アラビア語でベンチという意味)と呼ばれるお墓と同様に、地面から深く掘り下げたところに玄室があり、それに蓋をするような四角い盛り土構造が基礎となっています。その上に4段の階段状のピラミッドが、さらにその上に2段の階段状の部分が継ぎ足されてピラミッド状に構成されたものなのです。
それは階段ピラミッドの内部に入るとよくわかります。中に入ると平坦な部分を進んだ先にズドーンと深い縦抗が掘られていて遥か下に玄室が見えるのです。
これはギザのクフ王などのピラミッド、ダハシュールのスネフェル王のピラミッドと大きく違うところです。初めからピラミッド状に築き上げられたものではないんですね。
このピラミッドの内部は2020年の3月、14年ぶりに再公開されました。マスタバが基になっていた事、真正ピラミッドとの違いを理解する上でおススメのポイントです!
ピラミッドの北側にはセルタブとよばれるものがあります。中にはジョセル王の像があり、小さな窓が開いていて中が見えますが、これは中を見るためのものではなく、地下にある来世の宮殿から出現した王が外を見るためのものだそうです。また同じ北側に葬祭殿があります。こちら側にもピラミッドの入り口があり、階段を下りて入り口までは行くことができます。
ウナス王のピラミッド 地図番号2
ウナス王が統治したのは、ギザのピラミッドを建設したクフ王やカフラー王の時代からさらに200年ほど後になります。
ウナス王のピラミッドは、2016年5月、20年ぶりに公開されました。天井は星で埋め尽くされ、壁一面にヒエログリフが掘られています。このヒエログリフは王の永遠性と復活を祈願した呪文や祈りのようなもので、ピラミッドテキストと呼ばれています。ウナス王のピラミッドは、このピラミッドテキストが初めて書かれたピラミッドなのです。
古王国時代のテティ王のピラミッドとその高官たちのマスタバ群
テティ王のピラミッド 地図番号10
テティ王のピラミッド内部の玄室へ繋がる部屋にも「ピラミッドテキスト」がヒエログリフで書かれています。そして硬砂岩(graywake)でできた黒い石棺が今もなお残されています。
次にあげる3つのお墓は、いずれも第6王朝、テティ王の高官(vizier)のもので、棺の納められたお墓が地下にあり、地上には会堂が作られています。あたかも家の様な作りで、壁には生活の様子が生き生きと描かれていて楽しいのですが、よく知っているガイドさんに案内してもらわない限り有名な壁画を見逃さないようにするのは難しいです。また同じような絵があちらこちらのお墓にあります。
メレルカの墓 地図番号11
メレルカはテティ王に仕えた高官で、テティ王の娘セシュセシェト(Sheshuseshet)と結婚して権力を持っていました。会堂には壁画だけでなく、等身大のメレルカの像があるのが特徴です。ただし、遺跡にあるのはレプリカ、実物は考古学博物館にあります。写真はアクセサリー製作に関するもので、上部中央は材料の重さを計量して記録しているところ、その下に隼のヘッドがついたアクセサリーをチェックしているところ、などが描かれています。
カゲムニの墓 地図番号11
カゲムニもテティ王に仕えた高官でした。会堂はメレルカのそれと同じくらい広く、色々な壁画が見られます。漁の様子、飼われている鳥たちの様子、倉庫で働く人々の様子など。。その中で記憶に残ったのが写真のハリネズミです。メレルカのお墓にも描かれていて。エジプトにハリネズミがいたんですね。
アンクマーホルの墓 地図番号11
アンクマーホルもテティ王時代の高官でした。彼は医者であったことから、壁画の中に医術の場面が描かれています。足や手の治療場面が描かれているほかに、割礼の様子が描かれていることで有名です。
セラピウム 地図番号5
セラピウムと呼ばれ聖牛アピスを祭った地下墳墓は長い坑道左右に一枚岩からできた巨大な空っぽの棺が28も並んでいます。棺の高さは2 m 以上あるでしょうか?一番奥の棺は階段を下りて身近に見ることができます。また入ってすぐ右側にある棺はダイナマイトで爆破された跡があります。中に何かあるかどうかを調べるためだったそうですが、、、空っぽだったそうです。
ラムセス2世が統治する時代に作られ始めたというこのセラピウム。一枚岩でできた巨大な棺をどうやって運んだのか?蓋はどうやって載せられたのか?解明されていない事の多い遺跡です。
テイの墓 地図番号6
第5王朝のNeferikareとNiuserreのピラミッド監督官をしていたテイのお墓。一番奥に捧げものをする部屋があり、この部屋は大きな2本の柱が中央にあって天井を支えています。その奥に2つの偽扉が作られています。
プタハヘテプの墓 地図番号5
第5王朝の高官だった父Akhethotepとの共同墓地になっていますが、プタハヘテプの彩色された壁画が美しいことから、プタハヘテプの墓と呼ばれているようです。
その中の一つ、様々な動物が描かれています。中段左に牙をむいて牛の鼻づらに襲い掛かっているライオンの絵が描かれており、その右にはジャッカル(?)が鹿を襲っている絵、その右の上にヤマアラシが巣から出てきてコウロギを捕まえている絵(なぜコウロギ?参考文献[2] に記載)、その上には2組のカップルの動物。当時のギザ辺りはナイル川の魚も豊かで、川べりには沢山の動物がいて自然の営みをしていたのですね。
ツタンカーメンの乳母マヤの墓 地図番号9
ツタンカーメンの時代、政治の中心はテーベ(現在のルクソール)にあったことから、その乳母の墓がサッカラにあることに正直驚きました。都がテーベに移った後もメンフィスとは行き来のある土地柄だということなのでしょう。
この壁画はツタンカーメンの乳母と膝の上に乗るツタンカーメンが描かれているという事ですが、ツタンカーメンは凛とした感じの青年として描かれています。乳母のマヤ―も美しい!入り口付近の壁画は写真のように黒く煤けてしまっていますが、後の時代に火事にあったことによるそうなのです。
お墓のある場所はブバステインと呼ばれるところですが、他に末期時代(ツタンカーメン王ほかが生きた新王国時代よりもさらに300年ほど後)の猫のミイラが沢山見つかっているそうです。そしてこちらは今でも精力的に発掘が行われている地域です。
参考文献
- 「大ピラミッドの謎」ムー謎シリーズ vol. 2 学研
- Zahi Hawass著 「The Illustrated Guide to the Pyramids」、The American University in Cairo Press
- 「芸術と歴史の国 エジプト」日本語版、BONECHI出版社 1997